耐えてみろ!
2015年08月13日
耐えてみろ!(1)
「おせーよ。」
ドアを開けると同時に、伊藤陽一郎の怒鳴り声が部屋に響いた。
「伊藤さん、買ってきました。」
「おう、何だよ、サクレじゃねーよ。」
ファミマの袋を覗き込み、すぐに怒気を含んだ声と一緒に袋を突き返される。
「もう一回チャンスやるよ。俺の食べたいと思うアイスを買ってこい。分かるよな?」
「ありがとうございます。自分、もう一度行ってきます。」
「おう、すぐな。」
先輩に一礼し、すぐに宿舎のはす向かいにあるコンビニへと走った。
コンビニのラインナップはたかが知れていた。それに、先輩、レモン味のサクレが好きなことも知っていた。
けれど、今日はちょっと機嫌が悪かった。コーチにフェンスの脇で怒られていた陽一郎を見かけた。コーチの怒鳴り声と平手打ちが聞こえた。俺ら1年は、そんな中を何も見ていないかのような振りをして、がむしゃらに泳いだ。
なんだよ、サクレじゃなけりゃ・・ピノか?ガリガリ君のソーダ味か?「いつもの」だったらサクレなんだけどな。
やべえ、考えている暇ねえや。慎吾はさっとガリガリ君を取り上げて、レジを済ませて寮に帰った。
「伊藤さん、買ってきました!」
先輩はアイスの袋を破いて、水色のアイスを取り出した。
「何だよ、何やってんだよ。欠けてるじゃねーかよ。」
いや、それは、力任せに取り出すから悪いんじゃ・・と思っても言えるわけがなかった。
ただ、うすうす予感はしていた。結末はいつも同じなんだから。
「上、脱げ。」
椅子に座ったまま、陽一郎は落ち着き払った声で言った。目が座っていた。慎吾はTシャツを脱いで、上半身裸になった。
そして、二段ベッドを背にして正座した。
「分かってるな?」
「はい。」
上級生の命令は絶対で、理不尽でも服従するしかない。特に同部屋の先輩の命令だ。
陽一郎は、青いビニール製のサンダルを履いたまま、座った状態で俺の腹を蹴り出した。
この体勢で腹を蹴る、いわば儀式めいた行為だ。陽一郎は他の先輩と比べても短期で横暴で理不尽で、手が出るのも早かった。よく他の後輩に制裁を加えている光景も目にした。
この前も顔を力任せに殴っていたり、髪を掴んで顔に膝蹴りを入れたり。あいさつ代わりに腿を蹴ったり。だから後輩の評判もかなり悪かった。
ただ、俺にはなぜか腹を蹴る、それも座った状態でというのが常だった。
20~30回蹴ると、陽一郎はそれで満足らしく、何事もなかったかのようにタバコを吸いに部屋を出る。
俺は、正座したまま待っている。本当は、「大丈夫か、痛くなかったか?」って腹をさすりながら聞いて欲しい、それで後ろのベッドに・・
慎吾は陽一郎のそんな優しさを期待していた。まあ、「行ってよし。」といつも言われるまで、正座しているのが日課みたいなものだ。
陽一郎が部屋に戻ってきた。慎吾のムースで固めた髪をクシャクシャってして、
「よく頑張ったな。行ってよし。」
「はい。」
慎吾は、ちょっとはにかみながら、外に出た。
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2015年11月30日
耐えてみろ!(2)
「ボスッ。」
鈍い音が冷たい室内に響く。
擦り切れたグローブが俺の腹をえぐる。
「バスッ、バスッ。」
リズムよく、グローブは俺の腹を捕える。相手は俺の顔を無機質な目で見て、俺を腹をサンドバックのように、狙い澄まして叩く。
「ボスッ。」
俺は逃れようと腰を引かせるが、鎖で両手を拘束されて吊るされているから、逃げられないし反撃もできない。
ただ、弧を描くように、相手から逃げるだけだ。
だが、相手は少なくともボクシングの経験があるようで、ステップを踏み、リズムよく俺の腹を的確に狙ってくる。
「ボスッ、ボスッ。」
コーナーのロープには、毛の薄く中年太りしたオヤジが、両手をロープに乗せて、薄ら笑いを浮かべながらジッと見ている。
「ボスッ。」
やべぇ、気を抜いたらモロに入った。
慎吾の顔は苦痛で歪む。対照的に、金属質のライトで照らされたオヤジは、軽くうなずいてにやけていた。
10日前、自転車で15分ほどしたところにあるスーパー銭湯に行った。そこは風呂もそこそこ広く、サウナも2種類あるのだが、なぜか日焼けマシンが置いてある。
平日の午後は客も数えるほどしかいない。水曜日の午後は講義もなく、バイトまで時間があるので、週に1回はスーパー銭湯に通ってリラックスを図るのがここ数か月の習慣となっていた。
15分ほど日焼けマシンを使った後、シャワーを浴びてサウナに入った。サウナは薄暗く、特にミストサウナは視界が悪く、近くに来て初めて人がいることに気付くこともしばしばだった。
ミストサウナに入って3分くらい経っただろうか、
「兄さん、いいカラダしてんな。」
と、左手から声をかけられた。慎吾は、ここがゲイのハッテン場になっていることも知っていた。特にサウナがハッテン場としての機能を果たしているようで、ゲイ特有の強い視線を感じることもよくあった。
ただ、慎吾のタイプからは程遠い人ばかりで、今日も声のする方を見ずに、気持ちだけ会釈した。
「兄さん、そのカラダ生かして、仕事してみないかい?」
聞いてもいないのに、こちらの意思とは関係なく向こうはしゃべり続ける。
「何、兄さんのカラダの写真を使って広告作りたいんだわ。3万円払う。どうだ?」
写真で3万?一瞬心が揺れ動いたが、そんなうまい話があるわけはない。ただ、たったそれだけで済むならばという気もあった。
慎吾は水泳で推薦入学していて、寮生活をしていた。ただ、仕送りは授業料と寮費に消えて、残りは自分で稼がなければならなかった。
と言っても、朝も夜も練習で拘束され、疲れ果てた状態でできるアルバイトというのはそんなにあるわけではない。
「いつでもいいんだ、兄さんの都合のいい時でさ。興味持ったら電話くれよ。」
なぜか電話番号の書かれた紙を出して置いていった。サウナに入る前から、知らず知らずのうちに目をつけられていたのだろう。
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2015年12月09日
耐えてみろ!(3)
「ボスッボスッ。」
くっ・・左脇腹に喰らうパンチがじわじわと効いてきた。半身傾けてかばおうとするが、相手はそれを見越して打ってくる。
リング内に固定されたカメラが一台、またオヤジのところにもカメラがあって、時折モニターを見ながら操作をしている。
いくらバキバキに割れた腹筋を誇る慎吾でも、吊るされ、手の自由を失い、ただ延々と耐えるだけ、しかも崩れ落ちることさえ許されない、絶望的な状況。終わりがあるとすれば、相手が疲れ果てて根を上げるか、それとも・・
3日後、慎吾は思い切って電話をしてみた。話だけでも聞いてみようと。
先方は、ゲイ向けの広告に使うんだと、はっきり言った。カラダだけの写真で3万、顔付きだと5万、いずれも現金先払い。条件として、アンダーウェアはこちらで用意したものを使うこと、拘束時間は半日程度であることを告げられた。
ちょっと早口で説明を受けて聞き逃した点があるかもしれないのと、念を押す意味で、写真撮影だけで3万なんですね、って聞き返した。それだけだと、そしてその場で写真はお互いに確認するとの答えが返ってきた。
金に困っているというわけではないんだけれど、写真で3万は悪い話ではない。時間も融通が利くし。
「ボスッボスッ。」
この単調な動き、決して乱れず的確に腹を狙う感じ、決して強くはないが衰えない威力、当たり前だな。俺は練習台だ。相手にダメージを与えられない、ただのサンドバックだ。いや、サンドバッグより弱い、消耗していくサンドバッグ。
俺の呼吸が乱れていること、俺に余裕がなくなってきていること、でも無表情で俺の腹を打ち続ける。自分のペースを崩さずに、腹だけを狙って。
写真撮影は順調に進んだ。というのも、ただ言われたとおりのポーズをして撮るだけだ。似たような写真ばかりを撮って、チェックした。1時間もかからなかったが、それで3万円をもらった。
「本当にいいんですか?」
こっちが逆に申し訳なく思って聞いた。
「契約通りのことだから当たり前だよ。それにしても、兄さん、いいカラダしてるね。」
既にTシャツに着替えていた慎吾だが、まだ裸体を見られている感じがした。
「兄さん、腹筋がすごいね。鍛えてるんだ?」
まあ、慎吾は腹筋が特に自慢で、水泳以外にも毎日腹筋のトレーニングを欠かさなかった。腹筋のブロック一つ一つが岩でも詰め込んだかのように固く、浮き出ていた。
「でさ、広告で動画も取りたいんだわ。腹筋を殴る、ただそれだけなんだけど、8万、、いや10万でどうかな?」
「それは痛がったり苦しがったりする必要があるんですか?」
妙な質問だった。演技する必要があるのかという、何とも腹筋に自信のある慎吾ならではの発言だった。
「自然でいい、それに演技だとどうしてもわざとらしく映って、ロクな作品にならない。自然体にしていればいい。」
その回答は、それはそれで何か噛みしめると言うか、自分に言い聞かせるような感じでゆっくりと出された。
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