短かった夏

2015年09月15日

短かった夏

ある夏の日
「ねえ、翔太。」
布団に入って宙を見つめている翔太に話しかけた。翔太は聞いているようでもあり、無関心なようでもあった。
「去年の沖縄に行ったときのこと、覚えてる?」
俊夫は右手を布団の上に乗せた。おそらく翔太のヘソの上の辺りに。いつも寝るときはこうして腕を翔太のヘソのあたりを触れていた。ただ、いつもと違って掛布団の上から乗せた。
「翔太はさ、全然沖縄行こうとしなくてさ。日に焼けるからって。そんなの、どこに行ったって日に焼けるじゃん。俺が沖縄、沖縄しつこく言うもんだから、渋々行くことにしたんだよね。」
「俺は沖縄が昔から好きだったから、翔太と絶対に行きたくてさ。旅行会社かよって言うくらい、沖縄の良さを説明したよ。でも、もう飛行機に乗る前からすっごく日焼けクリーム塗りたくってさ、俺、びっくりしたよ。空港を出たら日差しが強いからって、羽田空港から塗らなくったっていいじゃんね。飛行機の中も臭くて。」
翔太は相変わらず真上を向いていた。
「あと、そうだ。ハブクラゲ。沖縄のクラゲ。あれがすごい痛いらしいってビビっていて。酢を持って行くかどうかで揉めたよな?酢なんか現地で買えばよかろうもん。」
「でもさ、現地に行ったらネットが張ってあるんだよ。クラゲがビーチに入って来ないようにさ。だったらあの夜中の喧嘩なんだったんだろって大笑いしちゃって。」
遮光カーテンで窓も閉めきっていたが、南向きのマンションであったため、かすかではあるが陽が室内に差してきた。
「日焼けもさ、俺の世代だとガンガンに日焼けして、みんなロン毛でさ。工藤静香だって真っ黒だったんだぜ?あ、工藤静香とか知らないか。キムタクの嫁だよ。」
「だってさ、高田みづえ知らないんでしょ?みづえちゃん。若島津でさえ知らないもんね。いやー、高田みづえ知らないんだーって思ったときはさすがにジェネレーションギャップを感じたよ。」
翔太の口は、ずっと半開きのままだった。左の八重歯がちょっと顔を出していた。
「ギャップって言ったら、やっぱり歌だよな。ほら、沖縄でレンタカー借りたじゃん?ほいで、俺のiPodをかけたらさ、翔太全然知らないんだもん。俺が前の日に「夏」セレクションを作ったのにさ、知らない知らないって。名曲ばかりよ?」
「そうそう、カラオケもさ。歌じゃなくてドリンク。翔太が酒苦手って言うからカルアミルク薦めたら、知らないって言うじゃん。おいしいおいしいって飲んで、飲み過ぎて店出たらすぐに吐いていたけれど。アルコールどれだけ入っているかなんて分からないからな、甘ったるくて。」
俊夫は翔太の手を握り締めた。ひんやりとしていたが、まだ柔らかくて、まるでまだ生きているみたいだった。
翔太の眼は開いていたけれど、瞳孔はすっかり開いてしまって、まるでもう死んでいるみたいだった。
「もっとさ、いろいろ翔太と行きたかったよ。」
敏夫は涙声になって、さらに翔太に語り掛けた。
「もっとさ、いろいろ思い出を作りたかったんだよ。一緒にさ、楽しく暮らしたかったんだよ。」
段ボールが数個置いてあった。翔太が新しく借りたアパートの住所が書いてあった。
「出て行かないでくれ、出て行くなんて言わないでくれよっ!!!」
敏夫は号泣した。その頃、ドアをノックするとともに、チャイムが押された。
「ちょっとここ、開けてもらえますか?すみません、警察ですけれども。」
敏夫はすっと立ち上がった。涙もすっと引いて、何かに押されるかのように歩き出した。
「俺もそろそろ行かなきゃ。長居したよ。」
窓を開け、敏夫は14階のベランダから軽く上を見た。空は巻層雲で薄く覆われていたが、それが却って夏の強烈な日差しを遮っていた。セミの声と共に強い閃光のようなものを感じたが、それも一瞬のことで、すぐに静寂に覆われた。地面は生温かく、蟻が俺を避けるかのように通り過ぎて行った。
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toppoi01 at 00:34|PermalinkComments(0)
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